抽象化

人の名前が覚えられない。固有名詞は基本的に覚えられず、よく考えると一般名詞と固有名詞の境はさほどはっきりしないので、一般名詞がいつ失われてもおかしくない、という危機感も常にある(例えば「水」とか「紙」とかは大丈夫だと思うが、「はさみ」のレベルだと危ない気がする)。それは自分の物事の認識の仕方と深く関わっていて必然的であるように思えるので、別段覚えようという努力はしないのだが、世間では名前を覚えないのは失礼なことだと認識されているようなので、「すみません、すみません」とペコペコしながらやり過ごしてきた。

そうしたら、森博嗣さんが「忘れることは、抽象化の一つである」と書いていて、膝を打った。森さんは一般に「物忘れが激し」く(私も同じだ)、固有名詞に関しては「本当に親しい友人でも、名前がぱっと出てこないことがある。毎日会う人くらいだと、なんとか覚えていられるけれど、半年に一度くらいの人は忘れてしまう」。そして「自分が指導した学生たちも、誰一人名前を覚えていないといっても過言ではない(自慢でもない)」、と書かれているが、これは私もまったく同じである(自慢でもありません)。しかし顔も人柄も覚えているので、その人のことを忘れているわけでは決してない、というところも同じである。

森さんはこれを「具体的なものを忘れて、抽象的なものが頭に残っている状態」、すなわち「抽象」である、として積極的な意味を認めている。例えば、名言を読む場合、名言を暗記して人に伝えることよりも、「自分がそれをどう感じたのか、その言葉がどんなイメージなのか、ということの方が実は大切」である。物事の具体的な部分(名前や名言)に目を奪われているのは、本質を見失っている状態であって、良い傾向ではない。

そうだそうだ!
学生さんにはずっと「名前は覚えないが無関心なわけではないから傷つかないで下さい」「人柄は良く覚えているのだから何の問題もないでしょう?」と言い続けてきたが、これからは「皆さんも、名前が覚えられない、という境地を目指したらどうですか」と言おうと思う。

*森博嗣『常識にとらわれない100の講義』(だいわ文庫・2013年)

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