採点を終えて(期末試験)

学生の皆さん。ちょっと周りを見回して、コップがある人はコップを、友達がいる人は友達を見て下さい。

皆さんはどうやって、それを「コップ」であると認知していますか。ガラスでできているから、ですか? では、なぜそれは「ガラス製の湯飲み」ではなくて「コップ」なのでしょう。「小ぶりな植木鉢」とか「凹んだ皿」でもなく?

人がいる人は、どうやってその人を「Aさん」と認識しているのか、考えて見て下さい。ああいう髪型で、目の形がこうで、身長がこのくらいで…といろいろあるかもしれません。しかしおそらく、その人の髪型が変わったり、サングラスをかけたり、高さのある靴を履いたりしていても、その人を「Aさん」と認識することはできるでしょう。どういうことか。おそらく、私たちは普段、ものすごく沢山の情報を総合して「Aさんの本質」みたいなものを捉えているので、多少外形が変わったからって、Aさんを認識できなくなることはないのだ、ということでしょう。

もしかして、すごく急いでいたり、慌てていて「赤い髪がAさん、赤い髪がAさん…」と思って探していたら、髪を黒く染めてやってきたAさんに気がつかないことがあるかもしれません。この場合でも、落ち着いてよく見れば、「やっぱりAさんだ」ということは、誰でも分かるはずです。ね。

私が何を言いたいのか。もうお分かりの方もいるかもしれません。

今回の経済刑法の問題では、非常に多くの方が、背任の成否を論じていました。幹部会の決定を介して第三者にお金を振り込んでいる、というその部分の現象を見ると、「よし。横領と背任だ。それで、幹部会の決定に基づいてその口座から振り込まれているんだから、背任だな」となるかもしれません。

冗談じゃありません!その判断は、コップを見て、「これは湯飲みの形をしていてガラスでできているから、ガラス製の湯飲みだ」というのとまったく同じです。

詐欺かも?と思ったが、それを打ち消した、という人もいたようですね。それは、たとえていうと、「何かちょっとAさんみたいだけど…でも髪が黒いからAさんじゃないはずだ。髪が黒いのはBさんだから、Bさん、てことにしておこう」というのと同じです。

要するに、一言で言うと、ばかげています!

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試験後に何人かの人と話をしたが、落ち着いて考えればみんな分かるのである。「言われてみるとそうですね」。どうやればこうした馬鹿げた推論を回避できるのか。

論点を詰め込んで勉強していてそれを吐き出しているからそういうことになるのだ、というのはそうだろう。しかし詰め込み勉強もある程度は必要なので、詰め込んだ知識と常識を共存させる術を編み出す必要がある。

最後の「何かちょっとAさんみたいだけど…でも髪が黒いからAさんじゃないはずだ。髪が黒いのはBさんだから、Bさん、てことにしておこう」という例が分かりやすいかもしれない。「Aさんの髪は赤い」「Bさんの髪は黒い」というのは、Aさん、Bさんを識別するために有用な一つの情報である。しかし「髪が赤ければAさん」「黒ければBさん」という話でないことは明らかであろう。Aさん、Bさんという人格にはもっともっと豊かな実質があって、私たちは通常その実質に直にアクセスしている。髪の色、というのは、役には立つけれど、その実質から見れば些末な一つの情報に過ぎない。

犯罪構成要件とされている各要素や犯罪の識別に関する各種情報というのも、言ってみればそのようなものにすぎないのである。それらは、客観的に犯罪を識別するための指標として開発されてきたものであるけれども、部分的な情報(髪の色とか)によって全体(Aさん)を捉えるという方法には、絶対的な限界がある。そうした指標を用いた判断は、つねに、「落ち着いて考えてその本質を捉える」という総合的・直覚的な判断に補完されなければならない。というより、そうした指標の方が、総合的・直覚的な判断を補完するものだ、と私は思う。そういうわけなので、いろいろな要件や情報を身につけるときは、ただそれを理解して丸暗記する、というだけでなく、これはどういう犯罪なのか、その本質にアクセスしようとすることが大事である。別に難しいことではない。イメージを掴む、という程度のことだ。

試験の時に落ち着いて考えている余裕なんてありません、と思いますか?いやいや。そんな人こそ、試してみる価値があります。何しろ「直覚」できてしまうのだから、時間は全くかからない。一瞬でできるのです。それを身につけた知識でもって検証していく、というのが順番です。

この話は前回の「抽象化」と深く関係していますね。

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