法学者は何を研究しているのか(1)

長い間医学系研究者の方々と仕事をしているが、まだ法学がどのような学問なのか、ということはよく理解されていないと感じる。「世の中のルールに詳しい人」などと思われていると業腹なので(そんな人と友達になりたくないですよね?)、是非とも説明をさせていただきたい。

一言でいうと、法学は、個人と共同体の関係、「個人と共同体の折り合いをどのようにつけていくと安寧に暮らせるか」を研究しているのである。

人間は共同体を作って暮らす生き物であるから、共同体の存在についてよいとか悪いとかいっても始まらない。共同体の存在を前提として考えると、共同体の中で暮らしているのは個性のある人々であるから、個人の利益と共同体の利益が相反したり、他の成員との間で利害が衝突したりすることが当然に発生する。その利害をどのように調整すれば、個人が自由にのびのびと行動できてしかも秩序のある共同体を維持できるか。これが、法学が向き合っている課題である。(どうですか。やりがいのありそうな課題でしょう?)

よくある誤解は「国家が国民を支配・統制するためにどのようなルールを作ればよいかを考えるのが法学者である」というものだが、これほど腹立たしい理解はない。様々な経験をへた結果、法学が一番に気を配るようになったのは、「権力から市民を守る」ことなのである。それなのに、「市民を縛るルールを喜んで作っている人」と間違えるなんて、あんまりではないですか。

横暴な権力者はフリーハンドを欲しがるし、フリーハンドを獲得した権力者は横暴になる。これはほとんど自然科学の法則みたいなものである。そのため、横暴な権力者によって社会が攪乱され、人々の自由が奪われるのを防止するための仕組みが、長年かけて作られてきた。国を支配するのは人(権力者)ではなくて法である(法の支配)という考え方に立って、憲法によって権力を制約する仕組みもその一つである。憲法が表現の自由や学問の自由を保障しているのもそうで、(国家の意向から)自由な表現活動・学問研究は、共同体の健全な運営にとって死活的に重要なことであるが、これらはとくに権力が関心を持ちやすい領域であり(NHKに対する政権の関心を見れば分かりますね)、銘記して保護する必要があるからである。

再生医療法が再生医療等に対して(国による審査ではなく)再生医療等委員会による審査を義務づけるに止めたのは、国が学問研究の内容に直接触ることを避けるためである。もし国が、「その研究には意味がない」「存在するリスクに見合うだけの効果(学問的意義)はない」といってその医療・医学研究を却下するなら、それは「検閲」と同じ意味を持つ。それではまずいので、「再生医療等委員会」というアカデミアを代表する組織に審査を委ね、学問共同体による自律によって秩序を保つ、という方法が選択されたのである。

「自律に委ねる」という仕組みが取られたこと(あるいはそれを支持した私など)に対しては、「性善説だ」という批判が度々なされた。自主的にルールを守ってくれるなんて、そんな人ばかりではありませんよ、と。

そうではない。何しろ私は刑法学者であるから(あんまり理由になってないけれど)、世の中にルールを守らない人が大勢いることはよく知っている(むしろ皆が守るようでは気持ちが悪い、と思うくらいである)。普通の人がつまらない理由でどれほどおそろしい所業に出ることがあるか、ということもよく知っているつもりである。

私たちは「人々は大体遵法的だ」などとは思っていない。そうではなくて、「権力にフリーハンドを与えたら大変なことになりますよ」と思っている。すなわち、「権力性悪説」に立っているのである。(つづく)

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