「疫学的因果関係」の誤解―疾患原因の科学的証明とは

「医学的根拠」が盛大に誤解されている、という本を読んでびっくりした。法学にとっても非常に重大な問題であると思われるので、私の理解したところを説明させていただく。私が無知なだけならよいのだが、そうではなさそうである。

(以下引用を含めて全面的に 津田敏秀『医学的根拠とは何か』(岩波新書、2013年)*)
  *ただし必ずや誤解があると思うので気づいた方は教えて下さい。

日本の裁判所は、疾患の原因について、次のように述べている(類似の判示は一般的です)。
「疫学調査の結果算出される相対危険度及び寄与割合は、集団を対象とし、疾病と要因との間の一般的な関連性の程度を定量的に表現するために算出されたものであり、曝露群に属する特定個人の疾病発生原因を判定することを目的としたものではなく、したがって、これらの数値のみによって個人の疾病罹患原因を判定することはできないものというべきである。」(東京高判平成17年6月22日)

法学研究者もつぎのように書いている(私もまったくこのように理解していました)。
「疫学的因果関係の特質は、集団現象としての疾病についての原因を記述するのみであり、その集団に帰属する個人の罹患する疾病の原因を記述するものではないという点である。換言すれば、疫学的因果関係が認定できたとしても、具体的な個人の罹患した疾病の原因が何であるかは、そこからは直ちに導き出すことはできないのである」。
    (新美育文「疫学的手法による因果関係の証明」ジュリスト866号or 871号)

私に関していうと、疾患に関して因果関係が分かるということは、メカニズムが分かるということだと何となく思っていた。疫学研究というのは、そのようなメカニズム解明に向けて、仮説を立てるために存在しているのだ、と(これも何となく)思っていたような気がする。こういった考え方は、日本では医学界も含めてかなり普及しているようなのだが(津田氏は「メカニズム派」と呼んでおられる)、これは全くの誤解で、両者の関係は正反対だそうなのである。

個人の身体において、「タバコを吸ったことが肺がんの原因であったか」を明らかにするためには、その人について、まったく同じ条件の下で、タバコを吸った場合と吸わない場合で身体に起こる変化を観察する必要があるが、そんなことは不可能である。

これは動物実験などでメカニズムについて仮説が立てられていた場合でも同じで、ある人において、「タバコを吸い続けた」事実と「肺がんが発生した」という事実が観察され、動物実験においては両者に関連があることが知られていたとしても、その人の身体において、前者が後者を引きおこした事実は証明できない。

「メカニズム派」としては、「当該個人」が無理でもせめて「人」におけるメカニズムを、と考えたくなるが、発がんの原因物質と目される物質を人体に投与した上に、大勢の人についてまったく同じ条件で生活させるのは倫理的にも実際上もありえない。結果が出るまでに時間がかかりすぎるという問題もある。

そうすると、人について疾患の原因を解明するためには、なるべく多くの人を一定の条件で揃えてグループ分けし、比較対照して確率の差を割り出すしかない。疫学研究である。ふむ、確かにそうですね、と私は思うが、大丈夫だろうか。

「Evidence-Based Medicine」というのは、臨床研究のデータ分析以外に医学が証拠として依拠しうるものはない、という宣言であるそうだ(私は単に「直感で判断するな」という標語なのかと何となく思っていたが、そうではなかった)。

1992年の論文「Evidence-Based Medicine:A New Approach to Teaching the Practice of Medicine」(マックスマスター大学ガイアットほか EBMワーキンググループ)の冒頭の言葉が引用されている。

「根拠に基づいた医学は、直感、系統的でない臨床経験、病態生理学的合理づけを、臨床判断の十分な基本的根拠としては重視しない。そして、臨床研究からの根拠の検証を受容しする。」

先に引用したような、法学の「疫学的因果関係」の理解は、疫学的な分析以外に、個人の疾患に対する因果関係を明らかにする何らかの証明手段が存在するという前提に立っている。しかし、実際にはそのような手段は存在しない。したがって、疫学が提供する統計学的な差を因果関係の証拠として認めないということは、因果関係判断において科学的証明を証拠として認めないことにほかならない、ということなのである。「疫学の結果を個人の因果関係に適用できないと主張することは、一般法則が個々の観察データに適用できないと言うことと同じである」(津田・82頁)。これはちょっと、大変なことではないだろうか。疫学的な証明を否定した場合、おそらく、裁判所が実際に採用するのは直感的判断だ、ということになるはずだ。

動物実験等によるメカニズムの解明や、臨床経験は、人の疾患原因についての仮説の構築に役立つものである。しかし、それ自体は、人の疾患原因の直接的な証拠となるものではない。それらをもって「個人の因果関係」を判断することは、直感的判断でしかない。「そうなのか!」と私は法学者として非常に驚き反省したが、そうした直観的判断が跋扈しているのは医学の世界でも同じだという。

日本の医学界は動物実験等によってメカニズムを知ることに強いこだわりがあり、疫学研究で(例えば発がん性の)証拠がはっきり示されていても、発がん物質としての認定が見送られる傾向があるという。胃がん対策としてのピロリ菌除菌措置の遅れも、水俣病の原因食品である水俣湾産の魚の摂食規制ができずに被害を拡大させたことも、乳児突然死症候群防止のためうつぶせ寝に警告を発するのが遅れたことも、この点と関係があるという。

何日か前に、厚生労働省の子宮頸がんワクチン検討会が、ワクチン接種後の痛みについて、ワクチンの副作用ではなく「心身の反応」であると結論したという報道があった。同時に、海外の複数の研究者が「ワクチンが原因である可能性が高い」と述べたが(違う意見の海外研究者もいたそうである)、日本の医師らは「科学的証拠が乏しい」と否定した、とも報道されていたので、これもひょっとして「メカニズム派」の判断なのかと疑ってしまう。事情が分かる方がいらしたらどうか教えて下さい。

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