各種委員会の委員構成――主に「男女比」について

内閣府総合科学技術会議生命倫理専門調査会の会合があった(昨日)。この会議は大変女性の比率が高く、メンバーの半分くらいは女性なのであるが、昨日は出席者13人のうち6人が女性であった。私は男性が圧倒的に多い会議に参加することが多くてそういう状況には慣れているし、別段それで発言がしにくいと意識したこともない。しかし、昨日の会議は、なんだかとても発言がしやすかったのである。

話題がES細胞関連であったことが一つの理由であろう。ES細胞の利用において受精卵提供者の心理的負担への配慮が必要であることは一般的に理解されていることであるが、どの程度それを深刻に受け止めるかという点において、男性一般と女性一般の間で差異があると感じる(あと、とくに男性の場合は世代差がかなりあると思う。こういう委員会では女性は比較的若いうちに登用されるが男性はそうでもないため、男性の方が年長であることが多い。これはこれで問題である)。

重要な事項であれば、その場の全員が男性であって十分な理解を得られる見込みがない場合でも発言はする。しかし、どこまでも追いかけるかといえばそれはしない。会議におけるコンセンサスというのは、わが国においては場の空気によって形成されるのが通常なので、感覚・感情に深く根ざした議論を要する問題について、前提となる感覚が相当異なる場合、短時間の議論で相手を説得できる見込みはほとんどない(誤解のないように申しますが、時間をかければ相互の理解は可能であると思うし、本当はそのような議論がなされるべきである。しかし残念ながら行政の委員会はそのような議論の場ではない)。そんな中でしつこく発言しても、自分が疲れるだけで―まったく理解されない、あるいはとても重要だと自分が思っていることについて軽くあしらわれることの心理的なダメージは大きい―、その議論自体にとってもよいことはないので、それをする気は私にはない。

現在、ES細胞の臨床応用に向けた議論は、生命倫理専門調査会と、文科省の委員会内WGの双方で行われている(私は両方に参加)。文科省のWGの方は、少人数であることもあって、女性は私一人である。この問題に関しては、正直にいって、後者のWGでは発言を遠慮することがある。ちょっと面倒だな、と思ってしまうのだ。

わが国における「場」の重要性、「場の空気」の重要性を考えると、会議に女性が複数いるというだけでは全然足りない。半分近くはいてほしい。

これは性別以外の属性にも当てはまる話であるが、性別はとくに重要だと思う。女性と男性では、他人の話を聞く態度がかなり大きく違い、それが発言のしやすさに直接的に影響を与えるためである。女性は総じて、発言の中身だけでなく、身振り手振りや表情や雰囲気などを含めて他人の話を受け止めようという姿勢がある。話をする人の顔をよく見ているし、目線や動作によって共感が態度に表れる。聞き手の存在というのはとても大きくて、私の場合、傍聴者の中に共感的な聞き手がいるだけで(男性の場合も女性の場合もあります)話がしやすくなるくらいなのである(傍聴者は委員にいきなり目を見て話しかけられて動揺しているかもしれませんが…)。話をするときに、共感を求めるかどうかも、おそらく結構性差がある。でも男性だって、相手がよい雰囲気で話を聞いてくれている方がよいと思うのだが(でも何か「対立を楽しむ」という感じが一部の男性にはありますよね。あれはちょっと私は慣れられない)。

とくに議長にもっと女性を登用するとよいと思う。

 

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