生きる力

今日は大学の卒業式だった。私は「訓示」を垂れるような立場ではないけれど、卒業していく学生さんたちに何か言うとしたら、「生きる力を大切にして下さい」と言いたいと思う。ローの卒業生なのでとりあえずは司法試験のことで頭がいっぱいだと思うが、人生は続くのだ。
 
生きる力っていうのは、そうですね、一言でいうと、一人で外を歩いているときに、何となく気分がいい、というようなことでしょうか。やたらと気分がいい必要はない(それはむしろ怪しい)。ただ、とくに人目も気にならず、居場所がないような心地の悪さもなく、スマホをいじらなくてもみじめにも感じず、普通にその場にいられる。眠いな、とか、水が飲みたいとか、普通の自分の身体の欲求を普通に認識できる。そういう状態を支えているのが、身体の内側からくる充実感、といった感じのもので、それが根源的な「生きる力」であると私は思っています。
 
スナフキンもいっています。「たいせつなのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知ってるってことだよ」。スナフキンは「夢を持ちなさい」とか、そういうレベルの話をしているのではありません。スナフキンがこの言葉を発したのは、ミイが「あたい、またねむくなっちゃったわ。いつも、ポケットの中が、いちばんよくねむれるの」と言うのを聞いたときで、こう答えながら、ミイをポケットに入れてあげました(『ムーミン谷の夏まつり』より)。
 
そこらをうろうろしている猫を思い浮かべるとよいかもしれません。猫は一人でいて、充足しています。他人のために行動したり、他人の評価を気にしたりしないけど、「自分は世界に受け容れられている」と感じていると思います。人間も、この感覚さえあれば、社会生活上どんなに不都合なことがあっても、そこそこ気分よく生きていけます。反対に、これがなくなると、いつも他人の目が気になり、ちゃんとしているか、自分で自信が持てなくなる。いつも誰かとネット上でつながっていないと安心できなくなったり、社会的な評価を求めてひたすら仕事をしたり、誰かの指示がなければ行動できなくなったりしてしまう。「生きる力」がもっともっと致命的に損なわれると、征服欲をみたしたり、他人からの注目を集めるために、強姦や殺人といった犯罪に走ってしまうことにもなります。外国人排斥運動のようなものも、自分に価値があると実感できない人々が、「日本人であること」に存在意義を見いだそうとして起こすものでしょう。「生きる力」を養うことは、その人にとっても、共同体にとっても、もっとも、といってよいほど、とても大切なことなのです。
 
日本の社会は「生きる力」を涵養するということに無頓着だな、と思います。それで、生命力が損なわれて、生きづらさを感じている若い人がたくさんいると感じます。うつになったり自殺をしてしまう人もたくさんいる。
 
こういう自足した感覚の根っこは、やはり、子どものころに作られるものだと思います。子どものころ、不安を感じて泣き叫べば誰かがあやしてくれて、食べ物をくれる。歌いたいときに歌い、スキップをしたければする。自分の内側から来る欲求が肯定され、内的な必然性にしたがった行動が受け容れられる(放っておいてもらえる)。それによって、自分は世の中に受け容れられているという確固とした感覚が根づき、自分の内的必然にしたがって行動する、基本的な力が養われるのだと思います。
 
今の社会の顕著な特徴は、何か知らないが時間がない、ということです(市場主義の帰結だと思いますが、長くなるのでとりあえず措きます)。時間さえあれば、子どもはどっか適当なところで勝手に「生きる力」を養うことができる。私が育ったのは1970年代で、高度成長のおわりの方ですが、それでも、今と比べれば大分のんびりしていたと思います(ただ、もっと上の世代と比べて「生きる力」が弱いと感じるのも確かです)。
 
時間がないということは余裕がないということとイコールで、今の子どもは相当に小さいときから、秩序にしたがって行動するよう管理されています。電車の中で、隣に座った赤ちゃんが(もちろん親が抱えていますが)、こちらに興味を示して手を伸ばしてくることがありますね。そうすると、親御さんは必ず、「そっちはだめ」というように手を阻みます。電車の中はサラリーマンばっかりだし、ビジネス的な社会秩序を乱してはいけない、と思うからでしょう。その結果、子どもはこんなに小さなときから、「他人に自由に働きかけたらだめ」と教わっているわけです。
 
日本の幼児、初等教育機関(その後もだけど)は、まず第一に、子どもに「静かに座っていること」を教えます。「文句を言わず大人しく座っていること」「先生の言われたとおりにすること」を教え、「そうすれば立派な社会の一員と看做される」という思想を教え込むのが、日本の学校教育です。子どもなのだから、「生きる力」をどんどん使わせて育てなければいけないのに、制限する方向の「教育」しかしないのが学校です。学校以外にのんびりした時間がたくさんあればそれでも機能するのかもしれない。しかし、現代は、何か知らないけど時間がなくて誰にも余裕がないので、社会が一丸となって子どもを管理する結果になってしまう(これも別に論じるべきことですが、幼児・初等教育は子どもを労働から守るのを役目と心得て、社会から隔離して好き放題にさせるのがいいと思っています)。
 
社会に出たら出たで、ちゃんと組織に入って人並みに働け、とか、効率よく働け、成果を出せ、といって管理されます。こういう社会で楽しく生きていくためには「生きる力」が損なわれないように自分で日々ケアをする、ということが、決定的に大切なことだと思うのです。最初からこんな風に考えていたわけではありませんが、私はこの点にかなり気を遣って生きてきました。本日はお祝いの日なので(?)、その秘訣を特別に伝授したいと思います。
 
1 無理はしない :これは大事!どこまでが「無理」かを判断する基準は自分で持っていないといけないわけですが、人間関係においても、仕事においても、楽しくない無理はしないことです。無理を続けていると、楽しいかどうかもこれが無理なのかどうかもすぐに分からなくなってしまうので、身体を基準にして判断することです。体調が悪ければ、どうしてもやる気がでなければ、いくら他人に期待されていても、休んだり、適当にやり過ごすことです。我慢をしなければならないような人間関係からはさっさと身を引くことです(相手が親でも!)。わがままではありません。そうしないと、「生きる力」が減ってしまうのです。
 
2 私生活を大事にする :これも私がとくに(振り返ってみると)こだわってきた部分です。家を適当にきれいに保ち、必要なだけ寝て、食事をおいしく取ることは、幸福の基盤です。あくまで自分の基準で「適当に」ね。実家暮らしの場合はちょっと別の部分がありますが(親の秩序に過度に順応することになるおそれが)。私は自分でもときどき「専業主婦なんじゃないか」と思うほどの家事ぶりで、毎晩家で2時間近くかけて食事をしています(遅くに)。仕事第一、という価値観からは問題がありますが、生きる力第一なのでよいのです。
 
3 身体を快適な状態に保つ :抽象的な言い回しになってしまいましたが、身体の状態がよければ気分がよい、というのは真実です。私が気を遣っているのは、(1)骨格を整える(整体的なこと)、(2)適当に活動量を保つ、(3)腸の状態がよくする、の3つです。(1)と(3)が分かりにくいかもしれませんが、自分の実感でも、精神的にすごく追い込まれているときは、身体が固くなっていたり歪んでいたりして、呼吸が浅くなっています。自分でも腹式呼吸とかストレッチとかでケアをしますが、整体師さんとかに頼るのも一つの方法です(本は整体の代わりにはなりませんが、片山洋次郎『整体かれんだー』はお勧め)。とくに姿勢や骨格は自分では何が正しいか分からなくなってしまっていることが多いので、何となく体調や精神状態が悪いというときにロルファーとか整体師に診てもらうのはお勧めです。(3)は腸です。腸の状態は、幸福度と直結しているといわれていて(ストレスはたしかに腸の健康を悪化させますから、逆もいえる、ということかもしれません)、自殺率と関わりがあるという調査結果があるほどです。ストレスを貯めない、というのは難しくても、食物繊維をたくさんとって、納豆やヨーグルトで菌を補給することは簡単にできます。そうやって地道に、身体を整える、ということが、精神的な安定につながります。
 
4 他人を喜ばせるために生きない :とくに女子!あと親に反抗したことのない人!女子は子どものころから「かわいくあるべし」という価値観の中で育つので、どうしても他人の評価によって自分の価値を判断しがちです。男の子でも、家庭環境によってこういう風になることは結構あるみたい。それがやる気につながったりすることももちろんあるけど、でも、他人の評価は「おまけ」だと思った方がよいです。他人の評価に合わせて自分の行動を決めていると、他人が評価してくれなくなったときに大変痛手を負いますし、どうしても無理をすることになります。何より、それでは誰の人生を生きているのかよく分かりません。これをやっていると、自分というものがなくなってしまって、世間と軋轢を生じたり疲れたりしたときに本当に死にたくなったりしてとても危険なのです。いつも基準は自分の身体に置いて下さい。身体の感覚なんて分からない、という人もいるでしょうが、分かろう、として下さい。
 
5 こまめに楽しいことをする :観念的な楽しみではなくて(多分、酒とかお菓子とか美食とかゲームは観念的です)、自然に近いところに行くとか、ちょっと身体を動かすようなのがよいです。
 
大体こんな感じかなあ。
 
努力しろとか仕事しろとか、他人に優しくとか、友達と仲良くとか、そういうことは言いません(自分もしてないし)。
なぜかというと、こうやって生きる力を培っていると、外に出て行く元気ややる気がいつもそこはかとなくある、という状態になるので、放っておいても、それなりに社会の役に立つようなことをしてしまいます。だからとにかく「生きる力」第一でお願いします!
 
〔追記〕大事なことを忘れていました。それは「足を温める」です。身体が冷えるとロクなことはなく、冷えは足下から来ます。騙されたと思って無闇に足下を温めてみて下さい。最近知ったことですが、小林秀雄も色紙に「頭寒足熱」と書いていたそうです(せめてもの権威づけです)。
  
 
 
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