ヘンなもの

オウムの人たちが大挙して選挙に出馬し教祖の着ぐるみを着て街中を歌い踊っていたとき、それがあまりに馬鹿げているので、ヒマな高校生だった私たちはお腹を抱えて笑って見ていた(関係ないけど銀座の街頭にいた赤尾敏さんとかにも興味を引かれて手を振ったりしていたものでした。すみません)。

もうちょっと責任感のある大人の中には、気味が悪いと感じていた人もいるんだろう。のちに地下鉄サリン事件がおこってオウムの内実は全然面白がっている場合ではなかったことが分かり、私は高校生当時の自分の無責任さや勘の悪さを恥じた。このことは今も反省材料として胸に残してある。

十分な数の真っ当な人間が世の中に適当に配置されているときには、ヘンなものというのは表に出てこない。ヘンなことを考える人は常にいるけれど、世間の常識はそれを鼻で笑って相手にしないから、その「ヘンさ」が組織的な形で行使されるには至らない。したがって、ヘンなものが表立って見えてくるということは、それを許容範囲として受け容れる人間が既に一定数に達していることを意味している。

もちろん、それが「ヘン」である限り、世の中的には、まだそれをおかしいと感じている人間の方が圧倒的に多い。しかし、この段階では、すでに当事者を説得する可能性は失われていることが多いのではないかと思う。その組織は、内部にそれを押しとどめる自浄機構を持っていないからこそ平然とそれを出しているのであり、多くの日本人にとって一番重要な「仲間内」、すなわちその人の「世間」はそれを支持していることになる。そして、公に表に出してしまった以上(これも多くの日本人にとって)それ以降の撤回は論理ではなく面子の問題になる。こうなったときには、それを出してきた当事者とはもはや「話が通じない」レベルの懸隔が生じてしまっている、と見た方がよいと思われる。せせら笑うだけの知性が自分や友人に備わっているのだから大丈夫と思った高校生の自分は断然甘かったし、とくに日本の場合(と私は思うのだが)「話せば分かる」が通用する状況はむしろ例外的である。

例えば自民党の憲法改正草案は十分に「ヘン」のレベルに達している。特定秘密保護法に関する閣僚のコメントなども笑ってしまうものが少なくなかった。そしてそう思っている人が(少なくともある程度物を知っている人の間では)圧倒的に多いことも知っているけれども、私はあまり楽観的になれない。

Pocket