月別アーカイブ: 2014年5月

カラスの赤ちゃん

窓の外に拡声器。

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ここにこんなすばらしいカラスの巣がある。

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しばらく前に赤ちゃんが生まれたらしく、親ガラスがひっきりなしにミミズなどを運んでいた(たぶん)。

うちは3階で巣を見上げる形なので中はよく見えない。

見たいな~。上の方の人と仲良くなる手立てはないだろうか、とか思っていたが、

今日の午前中に巣立ってしまったみたいだ。

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公共を語る言葉が日本にないのは…(2)―日本の特殊な統治システムと敗戦後の不実

(1)(つづきの)はじめに

なぜ日本では公共の言葉が発達しなかったのか、という話でした。

日本のように(制度化された)国家としての歴史が長い国で、公的な事柄を語る言葉が十分に発達していないというのはとても不思議なことである。どのような政体であっても、リーダーとしての権力を獲得し、維持するためには、リーダーは人々に対してその力を示し、正当性をアピールし続けなければならない。「力」には軍事力が含まれるが、軍事力のみによって権力を維持し続けるのは無理なので、正当性のアピールは、実際の統治と同時に、統治の正統性・妥当性を説得するための言葉によってなされるのが普通である。ヨーロッパならキケロがお手本、というようなものであろう。 

公共の言葉が発達しなかったということは、日本では、「説得の言葉」が必要なかったということで、それは権力を正当化する必要性自体が存在しなかった、ということを推測させる。そんなことあるのか?と思うが、あるのかもしれない。

(2)一貫した日本の統治システム

日本という国は、本当に初期の頃から、誰が本当のリーダーなのか、責任の所在がどこにあるのかがよく分からない、見ようによっては非常に洗練された、見ようによっては全然筋の通らないシステムを維持してきているからである。

一番最初は、天皇(と後で呼ばれるようになった王たち)が実質的なリーダーであったはずである。しかし、天皇の親政は長くは続かない。かなり初期の頃から、蘇我氏が天皇家に后を贈ることを通じて実質的な権力を掌握していたようだし、この権力はのちには藤原氏に引き継がれる。「名」はつねに天皇にある(そして誰もこの「名」を侵そうとはしない)。しかし、「天皇家」には、リーダーとしての天皇を支える実質的な力はないのである。この点はヨーロッパの王族などと違うところである。なぜそうなるか、というと、当時の日本では、子どもは嫁の実家で育つからである(大化の改新から孝謙天皇あたりまでは天皇家にある程度実質があるように思える。この時期は、実質的に力のある女性の天皇が出ている時期でもあり、天皇の「一族」というものが存在できていたのだろう)。

当時の婚姻システムにおいては、格上の(家の)男を婿にとって家格を上げる、というのが基本的な結婚の在り方で、格下の舅が格上の男に娘を差し出して男をもてなすことになっている。婿はただもてなされていればよく、嫁の面倒を見る必要も、生まれた子どもの面倒を見る必要もない。

ということはつまり、子どもは嫁の実家で生まれて、嫁の実家で育つということである。天皇の子どももその例外ではない。したがって、天皇家の子どもは、藤原氏の女の家で生まれ育ち、やがて藤原氏の女と結婚して、その舅のもてなしを受ける。天皇にとって、親しい親族は全員藤原の人間であって、父親である先の天皇とはほとんど系図上の関係しかない、といったようなものなのである。

その後藤原家の者たちが藤原家内部の争いにうつつを抜かし、天皇に娘をあてがう仕事を怠っているうちに、藤原摂関家の力は衰えるが、そうすると、院政――天皇を引退した上皇が権力を行使する時代がやってくる。持統上皇以来、天皇と上皇は同等ということになっていて、「天皇家」に一体性があった当時ならよかったかもしれないが、この時代では両者の関係はよく分からない。その上、もともと天皇に実質的な権力があるわけではないから(ないわけでもないのだが)、上皇が権力を行使するといっても、実質的に国政を担うというよりは、わがまま放題で周りを振り回す、という感じの在り方になり、摂関家がなくなるわけでもないので、権力=責任の所在はいっそう分からなくなる。しかも、これらのことはすべて律令制度の枠の外のことなのである(ですよね?)。

よく分からないが、古い政権というものは大抵、特定の家が担っているものである(最初に王が政権を奪取すればその後は世襲である)。やがてこれを簒奪しようとする者が現れて、戦いを経て政権が変わったり、革命が起きたりする。政権が続いている間は血統がものをいうけれど、政権が変わる可能性があることを考えれば、実力主義に貫かれているともいえる。このような変わり方をする場合、政権を奪う側は、その正当性を言葉でも訴えなければ、国家の支配者としての地位を得られないはずである。

ところが、日本の場合、たしかに天皇家がトップにはいるのだが、后の家の影響力によって、天皇家が絶対的な権力をそもそも持っていないし、后を出す家が固定化することによって実質的に権力を簒奪し、上皇が出てきたり、それでも天皇が頂点であるという建前自体は変わらない…といった次第で、何というか、ぐずぐずと政治が動いていき、それを当然のものとして受け容れてきたので、別段、言葉によって説得・正当化をしなければならないという場面がでてこないのである。

その後、天皇と摂関家がセットとなった朝廷は、本当に形ばかりの存在になっていくけれども、「天皇をお支えする」地位を名乗ることによって正当性が担保される便利なシステムを、時の為政者が手放すことはなかった。この、形式的なトップと実質的なトップが併存し、双方はしばしば「同等」とみなされ(完全な傀儡というわけでもない、ということです)、結局どこに責任があるのか分からない、という不思議な在り方は平安時代に確立し、徳川の時代にも、さらには明治維新の後にも継続する(脱皮に向かう可能性はあったのではないか、ということについて後述)。中国を参考に律令制度を取り入れても、西欧式の法体系を導入しても、それらとは関係のないところで、日本は確固たる「どこに責任があるのか分からない」意思決定システムを運営していて、実際の重要な意思決定はそちらでなされることになっている。

*橋本治『権力の日本人 双調平家物語Ⅰ』(講談社、2006年)、同『院政の日本人 双調平家物語Ⅱ』(講談社、2009年)を大いに参考にしました。

(3)敗戦の影響とその後

さて、それで、現代はどうなのであろうか。上述のような不思議な意思決定システムは、国民全体の中で、国政に対して実質的に関心を持ちうる層が限られていた時代であれば通用したかもしれないが、現代のような時代でそれは難しいのではないか、というのが、素直な推論であると思う。

しかし、制度外の権力がきわめて大きな政治的影響力を有しており、その主体は日本国民に対して責任を負う立場にない、という点で、現代は、過去のどの時代と比べても、際だっている、といえる。いや、敗戦国において、戦勝国に対して陰に陽に従属を強いられることそれ自体は普通のことである。その場合、そのような状態は当然、屈辱的な状態であると認識され、元独立国家の国民たちは、しかるべきときに真の独立を回復すべく、その機会を虎視眈々と狙うはずである(この辺は内田樹さんの受け売り)。日本の状況が異常であるのは、戦勝国アメリカに対して従属的な立場にあることを、政府、国民が一丸となって隠し、忘れようと努め、その上、そんな無理な試みが、ほぼ完全に成功を収めている、ということである。

いくつかの事実を確認しておきたい(以下、ほぼ全面的に、ジョン・W・ダワー「サンフランシスコ体制――その過去、現在、未来」ジョン・W・ダワー ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』(NHK出版新書、2014)による)。

日本は、サンフランシスコ条約によって、被占領状態を脱し、主権を回復したが、ちょうど冷戦が激化しつつあったことから(条約は1951年署名、1952年発効)、アメリカは敗戦国日本を、その勝利のために最大限に利用しようとした。アメリカが占領の終結のために(「独立のために」と書こうとしてばかばかしくなってやめた)日本に要求したのは、①再軍備、②在日米軍基地の存置、③講和会議からの中国の排除、であった。

最近の若者は本当に何も知らなかったりするので、少し余計かと思われるところも含めて、説明をさせていただく(私もそんなによく知っていたわけではないので、多くの方がそうだろう、と勝手に前提します)。ここでの「再軍備」の方針によって、現在の日本には自衛隊がある。「米軍基地存置」の方針の下、日本政府とアメリカは結託して沖縄をそれに当てることに決め、現在の沖縄の基地問題がある。講和会議から、中国と韓国・北朝鮮が排除されたことによって、これらの国と日本の間には、いつでも蒸し返すことが可能な「過去」の問題、そして領土問題が残され(北方領土問題もソ連が講和会議から外されたことに起因する――アメリカは日本とソ連が2島返還でまとまりそうになったとき、「だったらアメリカは沖縄をもらう」と恫喝したのである)、日本と中韓がなぜか決定的には仲良くなれない、という現状がある(「なぜか」ではないんだけれども)。そういうことなのである。

これらの要件を日本が呑めば、米軍は日本を確実に保護してやる、というのが、アメリカのオファーであった(日米安保条約はサンフランシスコ講和条約と同年)。こんなのは独立ではない、というので、もちろん、日本国内の自由主義的な論客や左翼勢力はこれに反対し、非武装中立・中国を排除しない全面講和を主張したけれども、アメリカの要請を呑まなければ、主権の回復が先延ばしとなり、占領状態が続くことは明らかだった。この条約は、日本に対する懲罰的な内容をほとんど含まない、その意味では寛容なものであったから、当時の政府および国民は、基本的には大喜びで、アメリカの提案を受け容れたのである。

ここまでは、敗戦国としてはまあ仕方がない、という範囲の話であろう。しかし、解しにくいのは、政府は恥ずべきこととも思わない様子でアメリカに対して従属的にふるまい(すごいな、と思ったが、日本の政府および高官は、アメリカの水爆実験に懸念を表明したときも、アメリカに対しては内々に、懸念表明は単に「国会内の反対党に対する機嫌取りであり……主として国内向け」であると保証していたそうである)、そうしたふるまいは冷戦が終わったあとも続いている、というより、より強まっていること(これは「見捨てられる不安」であろうけれど)、そして、日本国民もまったく気づいていないということはなかったはずだが、政府と一緒になってこうしたことを隠し、忘れ去ろうとし、本当に忘れ去ってしまった、ということである。

これに対しては、ダワーさんも、こんなことがなぜいつまでも続いているのか不思議、という感想を持っているように感じられる。たしかにまったく不思議なことであるが、おそらく、平安時代以来の日本の統治システムが関係していると思われる。制度外の存在が実質的な権力を持っていることや、責任の所在がはっきりしないということは、日本にとっては普通の状態であり、それでも現実が何とかなっていて、自分の立場が安泰ならそれでよい、というのが、(歴史的に見て)標準的な日本人の態度である。それが日本でなくてアメリカだって別にいいじゃない(むしろちょっと格好いいんじゃないか?)。……

はい。そういうわけで、日本には公共の言葉が発達しませんでした。

(4)どう考えても現在がいちばん誠実でない

ただしかし、平安時代から明治初期にかけての日本と、それ以降では、決定的な違いがあると思われる。それは、経済的にある程度豊かで、一定の教育を受けており、政治に対して関心を向ける能力のある人材が、昔はほとんどいなかったであろうが、現在はたくさんいる、ということである。平安時代の日本人なんて、天皇家とその周辺にいる官僚(貴族)以外は、国政なんてものとはまったく無縁に暮らしていただろう。国民の間に「公共の言葉」が育たないのも当然のことではある。しかし、現代の日本人はそうではない。状況を理解して議論するだけの能力・環境には恵まれているはずなのに、見ないふりをして、偽独立国家の中で体裁を繕うことだけをして、公共を語る言葉を喪失させている。歴史的に見ても、たぶん、いちばんタチの悪い状態である。

このタチの悪さは、やはり、敗戦によって生じたものであると私は思う。責任の所在がよく分からない状況は徳川の時代にも続いた、と書いたが、各藩においては、藩主の下で、家臣はかなり実力主義的に登用されていたと思われる。「名君」とか「賢相」といったものが知られているということは、透明性の高い形で意思決定が行われていたことを示すものだろう。そのような政治のためには知恵と議論が必要で、この時期に藩校、私塾、寺子屋を通じて人材を発掘・育成・登用するシステムが浸透したことが、明治維新およびその後の公共的議論を支えたはずである。

維新後の政府はいったん保守化するが、そのおかげでというか、大正に入る頃には、民衆による政治的運動が活発になる。この時期、(もちろん各種の影響は受けつつ)自生的な形で民主主義に向かう流れが強まっていたこと、そして市民が成熟に向かおうとしてたことは間違いないと思われる。

しかし、こうした流れは、敗戦によって澱んでしまった。戦争に負けたことそれ自体はもちろん理由ではない。それ以前の民主主義が十分に発達していたなら、敗戦を機に、より強かな市民として育っていく道はあり得たはずである。でも実際には、まだひ弱だったということなのだろう。敗戦後、占領は終わったけれど、実体はせいぜい「従属的独立」でしかなく、主権国家であるのかどうかも怪しい状態であるのに(国防を全面的にお任せしている以上、恫喝されたら従うしかない(そしてそうした恫喝はしばしばなされているし、されずとも忖度してそれに従うのが日本の人々である)。しかし急いで付け加えるが、現在の状態のまま「集団的自衛権」など確保すれば「アメリカのために血を流す」国家になるだけである。そうなれば、日本がアメリカの属国であることは誰の目にも明らかになり、日本が国際社会において主権国家として敬意をもって扱われることはなくなるだろう(今は扱われているのかどうかよく分かりませんが))、そのことから目をそらし、経済成長によってほしいままに消費ができるようになったことをもって「自由」を得たと誤解してしまった。真に自由で民主的な、一流の近代国家であると自他を騙ることによって、本当の成熟への道を自ら塞いでしまった、というのが戦後の日本の軌跡であり、それは現在も続いている。

ふう。大変なことですね。
言葉というのは必要に応じて発達するものであるから、日本において、公共を語る言葉が発達していないのは、その必要性がなかったためである(他方、敬語がやたらと発達しているのは、平安時代以来の官僚社会においては身分の上下が何よりも大切だったからである)。責任の所在が明らかでないなら誰も説得・正当化のために言葉を紡ぐ必要はないし、物事が思索と議論の結果決まるのでないなら、そのための議論=言葉は発達しない。江戸時代の藩政において、また維新後の民主化によって、公共の言葉は発達を始めたはずであるが、敗戦後、上のようなわけで、むしろ真実は隠さなければならないこととなり、そうしたら、まともに公共を語る言葉なんて発達するはずはない。

(5)人間らしくあれば、希望はある。

とはいっても、私は絶望しているわけではない。日本の欺瞞的な在り方を冷静に論じる言論は目立って増えているし、私が理解して、そんなの嫌だ、と思ったのだから、他にもそう思う人はたくさんいるだろう。私たちは、民主的な社会を担う市民として成長している過程にあるのであり、紆余曲折は相当あるだろうが(その中には対外的な戦争があるかもしれないし、内戦があるかもしれないし、もっと予期しない恐ろしいことがあるかもしれない。現在の日本人の政治力がこの程度である以上、それは覚悟せざるを得ない)、それでも、そうした経験を経て、成熟に向かっていくだろう。

そのために、とくに大事だと思うことは、若い人たちを騙すのはやめよう、ということだ。若い人たちは、日本がそういう状況にあると早くから知っていれば、状況を何とかするために学び、考え、働くことができる(本当は義務教育で教えるべきことだと思う。もちろん大学でも。法学は法学でやるべきことがある)。その中からは間違いなく、とびきりの活躍をする子がでてくるはずであり、その裾野は広ければ広いほどよい。そうすれば、上にいった「紆余曲折」も、最小限に減らせるはずである。

それにはまず率直に語ることですよね。だって、とか言っている場合ではない。
本当にそう思います。敬語も少し考えた方がよいと思う。
ぶつぶつ…

(ひとまず終わり。当初「法の精神」と題していましたが、タイトルの辻褄がまったく合わなかったのでタイトルを変更しました。関係はもちろんあったのですが…いずれ説明できると思います。)

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